身・心・聴・整・使
”しんしんちょうせいし”
身←身 体
心←心・精神
聴←意識的に聴く
整←(響き)整える
使←(エネルギーの)使い手

『身心聴整使』
何故”心身”ではなく、”身心”なのかしら❓と思われるかもしれませんね。
30代の後半にあるお方の専属で身体の調整をするお仕事をさせていただいていた時に、突然上から降ってきた言の葉でした。
最初は”しんしんちょうせいし”という音の響きだけが降りてきました。その後、漢字が降りてきて、”心身”ではなく”身心”と。
不思議に思い少し調べてみたところ、”心身”は精神と肉体を合わせた意味で一般的に使われていて、”身心”は身体の不調が心に及ぼす影響を指すようで、古くは”心身”の古い言い方として使われることがあるとの事でした。
”聴”は意識を向けて聴く事なのですが、その意識が和多志の意識だけでなく、施術させていただている方の周波数と意識を合わせて聴く感じです。
”整”はそのままの意味で整えるなんですが、和多志が整えるのではなく、施術を受けていただく方の心や精神へエネルギーを響かせ、共鳴し、ご自分で本質の”源”へ還る道へと軌道修正していただくお手伝いをさせていただきます。
”使”は”可視化出来ないエネルギーの使い手”です。もちろん、可視化出来る手を使っての施術も同時に行わせていただきます。
”身心聴整使”の意味が少しご理解いただけましたら嬉しく思います。
『和多志について』
和多志は幼少期、虚弱体質で入退院を繰り返していました。母は二十歳まで生きれるかしらと思っていたそうです。小学校、中学校と成長するにしたがって、一見すると元氣は人一倍あるのですが、体調を崩してしまうと長引いてしまい、見た目に反して身体は決して丈夫とはいえない子供でした。しかし、そのお陰で母は鍼治療や一般的な整体はもとより、カイロプラクティックや波動療法、漢方療法などの色々な施術を体験させてくれました。
その時の様々な体験が感覚を使った”身心聴整使”に大いに繋がっているのだと思います。
『”身心聴整使”として感じること』
自分の周りの人は自己の投影であり、鏡である。と耳にしたことはありませんか❓和多志自身、その言葉の意味が理解できるようになるまでは、(自分で設定してきたのですが)なかなか視野が狭くて厳しい自作物語の世界にどっぷりハマって生きておりました。
今は周りの方々が鏡として私自身を映して下さっていたことに氣付き、視点を広げ、不要な感情を手放し、だいぶ身軽になることが出来て、お陰様で愛と感謝でいっぱいの幸せな日々を過ごさせていただいております。
ただ、人間なので、時として色々な感情がわき上がってきたり、意味もわからず涙が溢れたりと人間らしい出来事も勿論あります。こればかりは肉体を脱いで源へ還る日まで続く、氣付きと学びだと思って楽しみながら生きております。
皆さんはいかがでしょうか❓
毎日沢山の幸せを感じられて生きていらっしゃいますか❓
もしかしたら、今は「生きる」という事に、楽しみよりも辛い出来事ばかりに焦点が当たっている方もいらっしゃるかもしれません。
でも、辛い経験を通して痛みを知り、氣付きを得た時、相手の気持ちを理解出来るようになったり、寄り添えるようになったり、また、起きている事柄に感謝出来るようになったりと、必ずしも辛い経験は悪い出来事ではないのです。
人はつい「辛い出来事」「悲しい出来事」など一般的にネガティブと言われる感情を感じた時、🟰悪い出来事と思考が働きます。しかし、それは自分が感じたかった感情であり、経験だったりするのです。宇宙には良い、悪いのジャッジはありません。辛い経験の感情を自分が感じきって手放し、氣付きを得て、視点が広がれば、身体は軽くなり、むしろその出来事は感謝に変わります。
本来人生とは沢山の氣付きと経験を得て、誰もが幸せになるように計画されているはずです。幸せを感じる事ができないのであれば、視点を変えて(自分の内側に向けて)物事や周りの方々をよく観察してみて下さい。あなたの周りにはあなたの内側を写す鏡として多くの方々があなたの人生に登場してくださっています。すぐ近くにまだまだ氣付きの”宝箱”がいっぱい転がっているはずですよ。
身体や心の訴えは人によってさまざまですが、出会った方々の数だけ違いがあります。同じ出来事のようでも、その方の視点の広さや深さ、感じ方によっても見えている事柄や物事が全く違うんです。まさにパラレルワールドですね。
だからこそ、ご自分の思考癖や視点を広げる事に意識を向けられることをおすすめします。和多志の経験上の話ですが、自分が自分で作り出している物語の登場人物でいる間は自分に被害者意識を感じます。そこから抜け出せた時に、自由で穏やかな世界をありのままの自分で生きることが出来るのだと和多志は思います。
みなさん気付かれていらっしゃいますか❓
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚は 全て身体があるからこそ感じることが出来る感覚です。また、五つの感覚の”覚”は氣付く、さとる、目覚めるといった意味を持っています。ですので、身体に意識を向けて五感を磨いていくと、より深い意識(自分の内側)に繋がり易くなり、日々の小さな出来事でも氣付きが増え、幸せを感じることの出来る幸せ体質になり、心豊かな人生へ目覚めていく近道になると和多志は思います。
例えば…
視覚を使って、桜を見る。
聴覚を使って、心地良い音楽を聴く。
嗅覚を使って、好きなアロマの匂いを嗅ぐ。
味覚を使って、美味しいものを味わう。
触覚を使って、大好きな人やペットと触れ合う。
これらの五感を無意識で使うのと、意識を向けて使うのとでは、幸せ感度が大きく違うのです。
五感は身体を整え、顕在意識(有意識)で磨く事によって、さらに研ぎ澄ますことのできる感覚であり、潜在意識(無意識)では本当の意味で五感を使えていないので、感覚が鈍ったり、眠ってしまう事さえあるのだと私は感じます。
つまり、五感全てを意識的に使えるようになると、氣付きの”宝箱”をたくさん見つける事が安易に出来るようになり、あなたの幸せ感度が上がって心豊かに過ごす時間が増えていくのだと和多志は感じています。
長々とお読み頂いてありがとうございます。
ご縁を感じられた方、施術を受けてみたいと思われた方は下記までお気軽にお問い合わせください。
あなたの人生に笑顔で満開の花が咲きますように…。
身心聴整使 ゆりか